子供のために必要な施設とは

子供向け施設の重要性

『保育園落ちた、日本マジ死ね』、衝撃的なブログが公開されて多くの反響を醸している昨今の日本。保育園がないと嘆く世帯の声に反して、現東京都知事地が海外の教育機関に東京は新宿区の土地を貸し出すとまで言い始める。そんなものを建てる暇があるならまずは保育園を作れと罵詈雑言が集まっていると耳にする中で、子供に対する声が本人を置いて違うところに派生しているようにも感じているほどだ。深刻な保育園不足なのは分かる、それで働けずに生活が困窮しているという人も見かける。だが子育てとはそうした多感な時期を過ぎてもまだ終わりません。

成長してからも親である大人は子供の情操教育のためとして、設立されている子供のために‘良いとされている施設'を巡っています。子供が行きたいかどうかは別にしてだ。子供の将来に必要、将来うちの子にはこういう人間になってほしい、いつの時代も子供に託す夢の大きさは変わりません。そうした施設を通じて子供との距離感を縮めたいと考えている人もいる。中には子供が楽しんでいることに託つけて大人が楽しんでいるだけ、というケースもある。

筆者の幼少期はどちらかと言えば後者だった。父親が遊園地嫌い、ファミリーレストラン嫌い等々、子供の頃になら一度は足を運ぶような施設に恥ずかしながら高校生まで足を運んだことがなかった。その代わり、遊技場としてボーリング、飲食店として焼き肉と、随分渋い方面に連れて行かれたものです。前者は子供の頃は全く好きになれず、後者は食べるのは大好きだったので許容できた。ただ一度はファミレスに行きたいと行ってみたが、迷わず却下されたので求めることを諦めたものです。なので地味にファミレスに入る時は嬉しかったりするのは、幼少期の反動が原因だろう。

子供のための施設、というものについても筆者当人はあまり馴染みがない。親が無関心だったというわけではなく、そういう施設が嫌いだったのが一番大きい。なのでたまに目にするニュースを見かけると驚きもする、今の時代は子供が体験できる施設の多さには感慨深いものがある。ただ逆にそれだけ子供の教育に熱心にならなければいけないと考えている人が多いのも事実だという。

実際、文部科学省が提示している『幼児教育の方向性』についての主張が大分興味深い内容になっているからだ。

幼児期の重要性

人の一生の中でも‘幼児期'が重要だと文部科学省は主張しています。ここでいうところの幼児期とは、

『小学校就学前の子供』

のことを意味しています。この時期は感情や知識といった情操面についてはもちろん、遊びや生活スタイルなどから得られる莫大な情報を如何に収集させて感受性豊かな社会の一員として立派に成長させていくための、より良く生きるためにどうしたら良いか、その基礎を学ぶために必要だとしています。随分と難しい事を述べていますが、要するにこの時期での教育が子供本人の将来的な人格構成に影響を及ぼす、という意味だ。

幼児期は人間形成の時期において最も欠かせない基礎が培っていかなくてはならないとされている。世間一般で言われているのは、おおよそ6歳ぐらいまでにどれだけ学ばせられるかでかなり違ってくるということだ。つまりだ、某国民的アニメで永遠の5歳として語られる少年の将来が楽しみだという話にもなるわけだ。ただ彼の場合、人格と性格、そして求める先にある本能的な欲望が強すぎるので、色々アレな感じに育ってしまうかもしれませんが。

逆にそんな作品からの影響を受けないようにさせるためにも、見せたくない作品だと言っている人もいます。

知的・感情面で

幼児期の親が子供に対して行う育みにより、成長させていこうとします。特にこの時期は知的・感情面での成長により、人間関係を自分たちで育ませて十分な経験をさせておくことにより、その後の社会生活に役立てていきます。よく言われている、子供の人間関係に親が口出ししないというのはこのためだ。子供が発言しなければならない場で親が口出しして、主張させないのはいけないというのも有名な話です。守れている人がどれくらいいるかはさておき、そういう面で教育をどうするべきかと悩むのもまた親の課題でもある。

大人が子供のために出来ること、それを鑑みて将来的に何をしてあげればいいのかを考えていく必要性も訴えられている。ですが昨今、度々耳にするのはそうした教育を親がきちんと出来ていないという状況もまた社会問題として顕著だ。

現状として

幼児期の成長を促す大人の行為は重要な指針になる。身近な大人である親を模範にして子供は学んでいくものですが、それが出来ない子供が多いという欠点も出てきている。具体的にいうと、

といった問題が大きいようだ。

理解できるという人もいる、また個人的に感じているのはやはり自制心や耐性・規範などに対する物の考え方に一般とはかけ離れた価値観を持っている人が多くなっている。将来は何をするから勉強をしなくても良いと、子供の思い込みで教育現場で教師が疲弊する話も耳にするくらいだ。

本来そうした行動を抑止するはずの親は何をしているのかと、そう言いたくなる。無論子育ての方針は人それぞれだが、あるべき社会の形を学ばせない親御さんが増えているのも事実かもしれません。悪いことをしても謝らない、自分は開き直って目上の人間に対して侮蔑的な態度を示す、といった者もいます。

影響力について

子供の教育理論の変質は核家族化や少子化などの社会的要因も関係していますが、家庭環境ごとによってもまた大きく異なっている。最近だと子供を叱らず、ただ褒めていけば素晴らしい人間になれるといった教育論が湧き出ているほどだ。それはつまり悪いことをした時にも怒らない、ということなのだろうか。それとも怒る仕事は学校の教師が受け持つべき分野だとでも言いたいのだろうか。

子育てに対する考えや見方、価値観に時代での差異が生まれてくるのはしょうがないことではある。けれど一方的に親である大人が社会に対して要求する内容もまた誇大しがちだ。

やるべきことをしない、面倒なことは全て他人に任せて我が子至上主義になっている人が増えている。それで理想の社会が生まれるのだろうかと、疑問に思う。やりたくないことはやらない、出来ることだけやっておけばいいと、人任せな子育て理論の横行だけは何とか抑えて欲しい限りだ。

子供を取り巻く職場体験について考える